倉敷エリア長として30人以上の部下を持つ立場となった友杉だが、営業マンとしての滑り出しは決して「順風満帆」ではなかった。「家は売れないし、休日も仕事のことで頭はいっぱいで何をしても楽しくない。『営業職を選んだのが間違いだったのか』と自問自答する日が続いた」という。
入社2年目を迎えても状況は変わらず、1棟も売れない状態が5カ月続いた。当時常務だった石本隆(現副社長)がチームミーティングに加わり、「今月売れなければ他部署に異動になるかも」と通告された。その時の心境について、友杉は「元々話すことが苦手で人にも興味がない。でも会社は嫌いじゃないので異動もありかな」という想いが心をよぎったが、一方では「営業が駄目だった、というレッテルは張られたくないという“小さなプライド”もあった」と当時の心境を振り返る。
結局、石本らのサポートで成約を獲得し異動は免れたが、苦手意識は払しょくできず「本当に続けられるのかという気持ちと、忙しい中で力を貸してくれた上司に対しすぐに辞めては申し訳ない気持ちとが半々」。さらに2~3年は悶々とした日々を過ごしたが、商談成立時に直属の上司から「この1棟はお前の力で取れた。おめでとう」と声を掛けられるなど、成功体験を積み重ねることで徐々に考え方がポジティブになった。また、30歳で家を建て、ローンを組んだことで逃げ道はなくなり、仕事と100%向き合う覚悟が決まった。
「今にして思えば本当に気持ちの問題。自分の“やる気スイッチ”が入ったと言うしかない」と友杉。自ら目標を立て、それをクリアするために行動するようになったし、以前は聞き役に徹していた会議の席上も「上司や先輩であっても、会社が良くなると思うことは必ず言うようになった」。結果も付いてくるようになるとそれを検証し、受注率などの数値を自分なりに分析して成果につなげる好循環が生まれ、2016年には総社展示場の店長に就任した。
